また老害が出現したか

生体解剖記事1

生体解剖記事2

・・・・・・・・・なんなんでしょうね、
朝日といい西日本新聞といい・・・
とにかく日本を悪者にしたいという
感情が記事に爆発しております。
えーー・・と、同盟組んでいたドイツがユダヤ人で実験してたら
日本も同じくらい残虐なことをしていたに違いないってことですか?
本当にやっていたら記事にしててもいいんだけどさぁ・・
どーもこの記事の内容・・・慰安婦と同じガセ記事にしか思えないんですよね。
海水を薄めたものって生理食塩水じゃないの?とか
軍罰が厳しいのに生体実験なんかしてどーするとか
皇軍であれと厳しく言われ、国際法に一番忠実だった日本がそんなことする?
かなり疑問が浮上しています。
大体、こんなことしてたら、この証言者の東野ってジジイ、真っ先に米軍に処刑されるハズです。
鬼畜米兵のえげつなさは当時を生きてたジジイなら知ってるんじゃないでしょうか。


ネットから抜粋した鬼畜米兵のえげつなさがこちらです。
・・・・・・・・・・・・・リンドバーグ日記の抜粋・・・・・・・・・・

*各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。

*あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。

*捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。

*将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。

*一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。

*捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。

*2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。

*爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。

*捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


17 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 20:26:07.79 ID:sp0hGj/I
金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。

*日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。

事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。

*リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」と。


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


43 名前: ネチズン(関西地方)[] 投稿日:2008/12/22(月) 20:41:51.94 ID:ePvddeog
雨公がやった事を思えば大した事はないな

日本軍人の生還率の低さは雨公が、虐殺した結果だからな

鬼畜米英はガチだから


53 名前: ネチズン(関西地方)[] 投稿日:2008/12/22(月) 20:55:07.50 ID:ePvddeog
リンドバーグの日記を読めばいい。

いかに雨が残虐行為を行なったか分るから

大腿骨を削ってペンにするなどは、ナチと大して変わらないから


58 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:02:20.95 ID:sp0hGj/I
昭和18年3月3日に起きた ビスマルク海戦 ( 空襲 )の結果、陸軍の兵士を乗せた輸送船 8隻と駆逐艦 4隻が敵機の攻撃により沈められましたが、沈没した日本の艦船から ボートや筏で逃れ、浮遊物につかまり 漂流中の千名の兵士達に対して 、アメリカと オーストラリア軍の飛行機が低空から機銃掃射をおこない、機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に戻り弾を補給し、映画撮影の カメラマンまで乗せて何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。

「 決して男らしいやり方ではなかった 」 と第5爆撃隊のある少佐は戦闘記録の中で報告していました。

「 隊員の中には気分が悪くなる者もいた 」。

救命ボートやその周辺を文字どおり 血の海に変えた その殺戮の様子を、機上から撮影した実写フィルムが10年ほど前にオーストラリアの テレビ局から放映されて、国民に大きなショックを与えました。

「 我々は フェアーな戦をしたと思っていたのに.....と」。

( 容赦なき戦い、ジョン・ダワー著 )

ちなみにハーグの陸戦条約第23条では、兵器を捨てた自衛手段を持たない漂流者に対する攻撃を禁止していました。


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


61 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:05:57.62 ID:sp0hGj/I
(2)、米海兵隊兵士による蛮行

昭和17年(1942年)8月17日の早朝、カールソン中佐率いる海兵隊は、

西太平洋のギルバート諸島の マキン島にある日本軍前哨陣地を攻撃し、守備隊を全滅させました。

しかし彼等が戦場で敵の遺体におこなった蛮行は、アメリカ海兵隊の歴史に恥ずべき汚点を書き加えました。

これが手始めとなり、その後の太平洋各地での戦場から ベトナム戦争に至るまで、米軍兵士による敵の遺体を冒涜する行為は、各地で続けられましたが、いずれも人種的偏見、蔑視に基づく行為でした。


( その 1 )
ルーズベルト大統領の息子で海兵隊大尉の ジェームズ・ルーズベルトも加わっていた

カールソン襲撃隊は、戦死した日本兵の 死体を切り刻み、男根と睾丸とを 日本兵の口中に詰め込んだ 。

太平洋戦争について熱心な研究者で著書もあり、またテレビの連続番組( 戦線、Battle-Line )のプロデューサーである シャーマン・グリンバーグが、20年後に カールソン隊員の 1人にその時の模様を ( テレビ で) 詳細に語らせている。

その隊員は戦友たちのやった蛮行を写真に撮っていた。

( ジョセフ・ハリントン著の 「 ヤンキー・サムライ 」 から )


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


62 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:07:36.50 ID:sp0hGj/I
( その 2 )
マキン島へ救援に赴いた私 ( 谷浦中尉 )は、戦場で妙なことに気が付いた。

どういうものか仰向けになった屍体が 15~6あり、しかもすべて下腹部を露出している。

死後1週間経っていたため原形は完全に崩れていて、顔の穴という穴はすべて蛆で真っ白である。

どうしてこんな格好をしているのだろう。

被弾して苦痛のあまり無意識にズボンをずり下げたのか?

アメリカ兵といえば キリスト教徒であり、日本人以上に文明人とみなされ、しかも選りすぐった精兵とこの種の蛮行を結びつけることなど、遺体収容作業に当たった誰一人として思いつく者はいなかった。

戦後50年経って意外な事実を知り、愕然とした。

それはマキン襲撃の際に行われた 海兵隊の蛮行を物語る、翻訳された出版物を読んだからである 。

( マキン、タラワの戦い、独立陸戦隊、中隊長谷浦英夫著 )


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


64 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:08:48.55 ID:sp0hGj/I
( その 3 )
作家上坂冬子の著書によれば、硫黄島の洞窟内から戦後米兵により持ち去られた日本兵の頭蓋骨は 1千個 にもなる。

彼等はそれで ロウソク立て、灰皿や ペン皿を作ったといわれ、また硫黄島で戦死した日本兵の頭蓋骨と称するものが、ロサンゼルスの骨董店で一個 25ドル で売られていた。

( 硫黄島いまだ玉砕せず )


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


65 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:10:31.42 ID:sp0hGj/I
( その 4 )、リンドバーグが見たもの

1927年 ( 昭和 2年 )に チャールズ・リンドバーグは ニューヨークから パリへ、史上初の大西洋横断、単独無着陸飛行に成功したが、この偉業は後に 「 翼よあれが、パリの灯 ( ひ )だ 」の題名で映画化された。

彼は1944年 ( 昭和19年 ) に ニューギニアの米軍基地で陸軍将校として4ヶ月過ごしたが、その体験を日記に記して後に「 第 2次大戦日記上巻、下巻 」として出版した。

( この本は私が読んだ後に、どういう理由からか絶版になった )

それによると彼は戦場で見たものに ショックをうけた。

それは兵士が嬉々として敵を殺したからではなく、 米兵が日本兵に対して抱く露骨な人種蔑視の念と、それに基づく残虐行為を目のあたりにしての苦悩であった。

たとえ敵味方に別れて戦い軍服に違いがあるとしても、敵の人間としての勇気は勇気として、兵士の使命は使命として認めなければならないにもかかわらず、太平洋地域の連合軍の中には、そうした感情のカケラもないことを発見した。

そこでは士官も兵士も日本人に対する人種差別、蔑視から自分達と同じ人間とは考えず、 人間以下の 単なる動物 としか見ていなかった。


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


68 名前: ネチズン(静岡県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:12:03.88 ID:etumm6NC
敵兵のチンコを切り取ってその口に詰め込むのは
明治時代の西南戦争からあったこと


71 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:12:36.81 ID:sp0hGj/I
Yellow Monkey ( 黄色い猿 )

1944年 ( 昭和19年 )6月21日の日記には、日本人捕虜に タバコをやり、気がゆるんだところを後ろから押さえ、のどを 「 真一文字にかき切った 」というのを、日本兵捕虜殺害の一例として教えてくれたある将軍との会話を要約している。

残虐行為に対するリンドバーグの異議は、嘲笑と 「 あわれみ 」をもって軽くあしらわれた。

6月26日の彼の日記には日本兵捕虜の虐殺、および パラシュート降下中の日本航空兵の射殺について述べている。

降伏し捕らえられた 2千数百人 という日本兵捕虜のうち、捕虜収容施設に引き渡されたのは僅か 百人か2百人に過ぎなかった 。

残りの者たちは殺害されたが、事故に遭ったと報告された。

「仲間が降伏したにもかかわらず機関銃で撃たれたという話が日本兵に広がれば、投降しようという者などまずいなくなるだろう 」とリンドバーグは聞かされた。

つまり 黄色い猿 に過ぎない捕虜を取り扱う、余分な手間や面倒がはぶけるという理由からであった。


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


75 名前: ネチズン(静岡県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:15:08.21 ID:etumm6NC
ジョンダワーの「人種偏見」がソースのばっかりだなここ

TBSブリタニカから出てた頃から知ってる奴は偉い。

改訂版からの奴はウンコ


78 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:17:30.85 ID:sp0hGj/I
捕虜を取らない、とは。

ニューギニア戦線でのオーストラリア軍やマッカサー指揮下の第41師団は、「捕虜を取らない」つまり武器を捨て両手を上に挙げて降伏しようとする日本兵や、既に降伏した日本兵 を殺するので有名だった 。

軍事歴史家デニス・ウォーナーは1982年に出版した日本の特攻隊に関する本の中で、ブーゲンビル島での自らの体験を紹介している。

そこで彼は、投降しようとした日本の負傷兵を、 オーストラリア軍の司令官が射殺するように命じるのを目撃する。

「しかし彼等は傷つき、おまけに降伏を望んでいます」と、日本軍の大規模攻撃が失敗に終わったあとの戦場で、部下の大佐が司令官に反論した。

「私の言うことが聞こえただろう」 と、両手を挙げた日本兵からわすか数 ヤード離れただけの少将 ( 司令官 )は答えた。

「捕虜はいらない。全員射殺してしまえ」。

そして彼等は撃たれた。


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


80 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:18:52.64 ID:sp0hGj/I
日本軍も負傷兵や捕虜に対する連合国側の殺害に関する情報をつかんでいて、戦時中の日本からの対米宣伝放送 ( 東京ローズ )では、第41師団のことを「 屠殺者、Slaughterer 」と呼んでいた。

終戦直後ある米陸軍大尉が公表した記事には、 第41師団、捕虜を取らず という堂々たる見出しが付けられていた。

この師団が例外的に日本兵を捕虜にしたのは、軍事情報の収集のために捕虜が必要な場合だけであった。

( 容赦なき戦争、副題太平洋戦争における人種差別、カリフォルニア大学教授ジョン・ダワー著 )


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


83 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:20:10.72 ID:sp0hGj/I
病院に対する爆撃

昭和19年( 1944年 ) 5月24日に ブーゲンビル島 ラバウル基地にあった第 8 海軍病院が、米軍機による攻撃を受けて、患者、看護婦、医師ら1千4百名が死傷した 。

病院の屋根には国際法の定めに従い、上空からよく見えるように赤十字の標識 を大きく塗装していたにもかかわらず、それを無視して病院の建物に対して爆撃や銃撃を加えるという国際法違反の非人道的攻撃をおこなった。

それ以後日本軍は病院施設に対する国際法違反の攻撃を防ぐために、地下壕や洞窟内部に病院を設営することにした。


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


85 名前: ネチズン(静岡県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:21:24.26 ID:etumm6NC
一方ニューヨークタイムズには、黒人軍務者の次のような投稿が掲載された

「米国兵と、捕虜のドイツ兵は同じ食堂で仲良く同じ食事を食べながら談笑している。黒人である我々は、粗末な食事をその外で食べている」


87 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:22:16.11 ID:sp0hGj/I
遺体を損壊する行為。

日本兵を自分達と同じ人間とは見なさない連合国兵士による、死体や死にかけた日本兵から金歯、耳、骨、頭皮、頭蓋骨などを収集し、戦果の証とする堕落した行為が広く行われていたことも、米国民の間で戦時中からよく知られていた。

日本軍との戦いを前にして武勇自慢をし合う若い兵士達の会話を、ジャーナリストのリチャード・トレガキスが記録している。

「ジャップは金歯をたくさん入れているそうだが、それを頂いてネックレスでも作るかな」と一人が言う。

「おれは奴らの耳を持って帰るよ」ともう一人が宣言する。

「塩漬けにしてな」

( ガダルカナル日記、1942年 )


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


92 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:24:23.96 ID:sp0hGj/I
戦後出版された水兵の日記の1944年( 昭和十九 年)7月の記述に、すでに17個の金歯を集めた海兵隊員がいて 、その最後の金歯はサイパンで負傷してまだ手を動かしている日本兵の頬を、ナイフで切り裂きほじくり出して取ったものだ、と事もなげに述べられている。

( 容赦なき戦争、ジョン・ダワー著 )


太平洋の激戦地ペリリュー島および沖縄で、日本兵の死体から手を切り取って戦果の トロフィーとする、金歯をあさる、死体の空いた口を目がけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し 、「みじめな生活から、解放してやっただけだ」と気にも留めない海兵隊員の様子を目撃した。

( E・スレッジ、生物学者、1981年に出版の回想録 )


まさに鬼畜。

アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


96 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:26:39.55 ID:sp0hGj/I
(その五)
フィリピンの ラグナラ州 カランバには日本兵を収容する

ルソン第一捕虜収容所があったが、ここは フィヒリピンにおける最大規模の収容所であった。

米軍の発表によれば収容された捕虜のうち、戦争が既に終了した昭和20年(1945年)末までに、栄養失調で死亡した日本兵捕虜は1万2千人 にものぼった。

もし日本側の捕虜収容所がこのような米兵の大量死を起こしていたら、原因や経過はどうであれ、B C 級戦犯裁判に掛けられて多数の責任者、兵隊が絞首刑になったことは間違いない。

しかしここの米軍責任者は誰も罪を問われなかった。

そこには「バターンの死の行進」に対する復讐の意図から、敗戦後も栄養失調状態であった多数の捕虜 に対して必要な食糧補給をしなかったからである。

( 孤島の土となるとも、 B C 級裁判 )


アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)


100 名前: ネチズン(熊本県)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:29:08.63 ID:sp0hGj/I
太平洋戦争中の米国による日本人に対する残虐行為は、人種差別に根ざすもの だと英国人ジャーナリストの ラッセル・スーパーは述べています。

「アメリカ人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに、気がとがめなかった。彼らは太平洋において人種戦争を常に派手に戦ってきた。新聞の大見出しになる種を探している アメリカの高官連中は公然と、日本人を殺すことは シラミ を殺すよりも悪いことではないと言明した。この残虐性 は4ヶ月後に 広島、長崎でその頂点に達することになる。」

( 著書、戦艦大和の運命 )


毛唐に人権を語る資格は無い。

まさに外道。

アメ公は日本にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)

おしまい。


106 名前: ネチズン(東京都)[sage] 投稿日:2008/12/22(月) 21:39:46.09 ID:+Zb6TZ3K
>>92
日本軍が捕虜になる前に自決したり、味方の傷病者を注射で殺したのは、アメリカ兵の残酷な処置にさらされないためだったんだろうな。


107 名前: ネチズン(関西地方)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:42:00.78 ID:ePvddeog
サイパン、沖縄で集団自決が起きたのは、雨の残虐さ故だから

実際に、民間人と知ってて殺してるから


109 名前: ネチズン(東日本)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:45:58.63 ID:qDMLBTjQ
19世紀 ハワイ王朝に多くのアメリカ人が入り込む(ドール家や宣教師など)

政府内でアメリカ人が発言権を得、要職を占める(開国直後の日本の初代ハワイ領事はアメリカ人)

ハワイ王朝とは別にアメリカ人による私設軍隊をもつ(ホノルルライフル部隊)

1887年 宣教師達がカラカウア王にライフル部隊を差し向け「近代的な憲法」を押し付ける

内容は、国王の国政への発言権の廃止・議会による実権の掌握・選挙権を持つのは高額納税者のみ

これによって貧しかった島民は選挙権を剥奪される

明治14年 カラカウア王が日本を訪問する

このとき、明治天皇に日本人のハワイ移民を懇請、国王の姪であるカイウラニ王女と東伏見宮依仁親王との国際結婚の申し出を行う

翌年 明治天皇がハワイに特使を送り申し出を断る

「アメリカの勢力圏に立ち入ることが好ましくない」

カラカウア王死去(暗殺されたとも言われている)、リリオカラニ女王が即位

1893年 リリオカラニ女王がアメリカ市民の権利を10割認めた上で島民に選挙権を与える憲法改正案を発布しようとする

米艦隊は宮殿に砲口を向けてこれを阻止、海兵隊員を出動させて女王を退位させる

1898年 ハワイ共和国大統領ドールがアメリカに国土を寄贈、アメリカに併合される


111 名前: ネチズン(東日本)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:46:45.94 ID:qDMLBTjQ
警察官はいたるところで暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられている。

一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」まで、手当たり次第に強奪されていた。

〈九月二日午前十一時三十分頃武装米兵六名ハトラックニテ横浜市中區山手町二一二番地共立女子校内、校長神保勝也ニ侵入
各室ヲ物色シタル後現金二千七百十円及ウオルサム腕時計一個ヲ強奪逃走セリ〉
とこのような「強奪逃走せり」が続くのだ。

その中に、首を傾げたくなる記述がある。

それは、「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が散見することである。

貞操は取り返すことができずとも、せめて当時、貴重だった「腕時計」だけでも、取り返したいとの思いから被害届を出していたのではと思われる。

先述した945件の強盗・略奪に強姦(あるいは強姦未遂)も入っているのではないかと考えるのはこのためである。

このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。

当時の朝日新聞(1945年9月5日付)は三段見出しで「神奈川県の女生徒は休校 教職員が家族を巡回指導」と記している。

しかし、9月19日、GHQ「プレスレコード」が発令されて以後は米兵を批判する記事は、新聞紙面からすべて消えている。

これで米国は、「強姦」など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。

しかし、記述のように「特高」の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。

※資料・・・「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)377ページ

マッカーサーが厚木に降り立った8月30日から10月4日(特別高等警察)解散命令までの米軍の不法行為を特高警察が取り調べたファイルを内務省警保局がまとめたもの。

この米軍の不名誉な記録は、没収され、米国に持ち去られたが、1973年12月日本に返却、翌年1月から、国立公文書館に所蔵されていた。

(マッカーサーが厚木に降り立った直後に9件の強姦事件 から要約)


113 名前: ネチズン(東日本)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:47:37.85 ID:qDMLBTjQ
昭和二十年八月三十日より連合国軍による「進駐」開始

昭和二十年 内務省警保局・特高資料

「八月三十日午後六時頃、横須賀市鎮守府背正門、ガラス商T方女中M子(三十四歳)。右一人にて留守居中、突然米兵二名進入しきたり、一名は見張り、一名は二階四畳半にてM子を強姦せり。手口はあらかじめ検索と称し、家内に侵入し、一度外に出て再び入り、女一人と確認して、前記犯行せり」

「八月三十日午後一時三十分頃、横須賀市旭町自動車運転手K方。米兵二名裏口より侵入し、留守居中の右同人妻M子(三十六歳)、長女S子(十七歳)に対し拳銃を振し威嚇の上、S子は二階にて、M子は勝手にて、それぞれ強姦せり(以下 略)」

「九月一日、千葉県安房郡、猟師A方に米兵三名侵入、留守番中の息子(出征死亡)の妻(二十八歳)に対し、まず十円札らしきものを示して、手まねにて性交渉を求めたるに同人が拒否するをもって、奥座敷に連行、脅迫の上、三人で輪姦せり」

朝日新聞 昭和二十年九月十五日版

「帝都における米兵の不法行為は引き続き漸増の傾向にあり(以下略)」

昭和二十年九月十九日

連合国軍最高司令部、報道各社に対し十か条のプレスコードを発表

「連合国占領軍に対して、破壊的な批判を加えたり、同軍に対し不信や怨恨を招くような事項を掲載してはならない」(第四条)

以降、報道各社は占領軍の犯罪事件に対して「大男が~」のような表現にて報道をするようになる。

昭和二十七年 サンフランシスコ講和条約発効 日本独立を恢復

この年から翌二十八年四月までの一年間における「進駐」軍の犯罪(国家警察発表)

殺人六件、強盗窃盗二百二十九件、強姦四十三件など計三千八百八十二件

独立恢復後ですらこの数字、占領下における犯罪行為(大新聞が報道しなかった)については推して知るべし


114 名前: ネチズン(東日本)[] 投稿日:2008/12/22(月) 21:47:54.23 ID:qDMLBTjQ
小倉黒人米兵集団脱走事件

1950年7月11日に小倉市で黒人米兵250人が城野補給基地から完全武装で集団で脱走

繁華街や民家に侵入し、略奪、傷害、強姦を繰り返した。





投降しても檻の中で酷い殺され方をするくらいなら
自決しろと言った軍部の指示は正しかったと思います。
生きても地獄、死んでも地獄
同じ地獄なら戦場で死ねと言うのも仕方ない。
現代の感覚で当時の偏見・差別を見てはいけないんです。
ご先祖が戦ったのは欧米の差別と偏見です。
そしてその戦いは今も続いているんです。


生体解剖が本当かどうかは分かりません。
もし事実であれば謝罪はします。
しーかーしー、それと同時に原爆2発と東京大空襲の民間人虐殺も謝罪してもらいますからねっ!!!

戦争というものがどうゆうことかを教えるのであれば
米軍が日本兵や日本人婦女子に行った蛮行を記事にするのが一番じゃないんでしょうか?
あいつらがした鬼畜行為が「戦争反対」思想に火をつけますよ。
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プロフィール

クサカ (元 源蔵)

Author:クサカ (元 源蔵)
漫画・アニメ・ニコニコ動画が好きなオタ主婦です。
漫画・イラストも書いてちょいちょいこちらに載せています。ヘタリアアニメ中止にキレてから国防活動しております(たいしたことはしてませんがー(´ε`;))二次元を脅かす国は滅んでしまえという、ある意味では危険思想な持ち主です。

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